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Channel: 橋本リウ詩集
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「トットてれび」 第1回 おそるべき満島ひかり

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 今回のNHK土曜ドラマは黒柳徹子サンが題材なために、いつもの21時台だと裏で黒柳サンが出演していらっしゃる 「世界ふしぎ発見!」 とかぶってしまうためか、20時15分からのスタート。 黒柳サンはNHKの専属タレント第1号であることからも、黒柳サンへの配慮が十二分になされている印象です。

 で、30分番組、という尺の短さ。 45分やるもんだとばかり思ってましたので、「アレ?もう終わりなの?」 という感じだったのですが、肩肘張らずに見るにはちょうどいい長さなのかもしれません。
 ただこれで全7回ですから、全部だと3時間半ということになりましょうか。 ずいぶん前にこの原作 「トットチャンネル」 は斉藤由貴サン主演で映画化されたことがありますから、それに比べると少しは長いけど、こちらの要望としてはまあ、無理を言って朝ドラで半年くらいやってもらいたい気持ちはあります(笑)。
 だって題材が、面白過ぎるもの。 テレビのホントのホントの草創期のエピソードが満載になるはずなんですよ。

 そう、黒柳サンの歴史というのは、テレビの歴史と丸々かぶっている。 黒柳サンの仕事をドラマで語る、ということは、とりもなおさずテレビそのものの歴史を語ることと、同義なのですから。

 今回のドラマは序盤で(30分番組の序盤って…笑)小学校校舎の3階くらいの場所から少女の黒柳サンが飛びだしてハタチの黒柳サンが 「マンモスの夢」 を見て、という段階から、想像と現実のあいだの境界線がまずない。 笠置シヅ子サンが 「買い物ブギ」 の録りをやるのと現実のレビューが一緒くたになって混在してしまうエンディングまで、「テレビ」 という世界が 「みんなの夢」 と混然一体となっているメディアであることを、これでもかと描写していく方式を採用しています。

 母親の黒柳朝サンは朝ドラ 「チョッちゃん」 のヒロインであることはまあ、いや、昔の話だから知らない人ももういるだろうけれど(調べたら1987年、もう30年近い前だ…愕然)、今回の安田成美サンじゃなくて、古村比呂サンが演じてほしかったな、というのはある(去年 「表参道高校合唱部!」 に出演していたから、出来ないはずはないと思うのだが)。 そこはNHKの遊び心でしょう。

 それはともかく、両親はそんな徹子サンの 「常軌を逸した感性」(笑)を特段否定しにかかったりしない。
 だからその 「常軌を逸した感性」 のまま徹子サンはハタチになっちゃうわけですが(笑)、「お硬いテレビ局」 の代表みたいなNHKで、草創当初からそういう 「型破り」 の人材が採用されている、という意外性が、第1回目では展開していくのです。

 ただ面白いのは、黒柳サンが 「普通だ」 と考えることが、テレビ(ラジオ)の世界では 「普通ではない」、という部分。 ラジオドラマの収録リハで、通行人役の黒柳サンは倒れた軍人さんに 「どうしたの?大丈夫?死んじゃったの?」 と声を掛けまくるのですが(笑)、そりゃフツーのリアクションなんだけど(笑)「通行人役の役割」、としては、後ろで 「ザワザワする」、というのが仕事。 この、「普通」 と 「普通じゃない」 ことの境界線がぼけはじめるのが、またこのドラマの興味深いところなのです。

 ドラマは基本的にオールスターキャスト。 本人たちが実名で登場しています。 私が特に似ている、と感じたのは、永六輔サン。 「ゴリライモ」 の新井浩文サンが演じています(「ゴリライモの」 って…笑)。 森繁久弥サンは吉田鋼太郎サンで、こちらは似てるとかいう範疇ではないのですが(笑)「バカヤロー、コノヤロー」 という、「エラソーな有名人」 と 「コメディ役者」 のギリギリの境界線で笑わせる。
 渥美清サンは黒柳サンの盟友とも呼べる人ですが、今回は中村獅童サンが演じます。 おそらく渥美サンの光と影を演じきってくれるのではないか、と期待しています。
 「ブギの女王」 笠置シヅ子サンを演じていたのは、エゴラッピンの中納良恵サン。 エゴラッピンは昭和歌謡に影響を受けてるユニットなので、このキャスティングはハマっていました。

 しかしそのなかでも恐るべきなのは、主演の黒柳サンを演じる、満島ひかりサン。

 どの演者も、それなりに当人に似せて演じておられたのですが、満島サンの 「若き日の黒柳サン」 再現度は、レベルが違い過ぎる。

 確かに私も 「ヤン坊ニン坊トン坊」 の時代までは知りません。 3匹のコブタの人形劇 「ぶーふーうー」 はかろうじて幼稚園時代に見ていたけど、その声優のひとりが黒柳サンであったことを知るのは、ちょっとあとになってからです。
 しかし 「テレビ探偵団」 とか、NHKのアーカイヴによる 「夢であいましょう」 とか、初期の黒柳サンのしゃべりを後追いして記憶している立場で評価させていただくと、満島サンのそれはもう、「ど根性ガエル」 のピョン吉再現レベルに匹敵するすごさだと思われるのです。

 ただもうこれって、あまり似せすぎると却って器用さばかりが目に付いてしまって逆効果なのですが、満島サンの場合、黒柳サンの 「あまりに個性的すぎて味わう挫折感、疎外感、劣等感」 をきちんと表現できている、というのがすごいんですよ。

 いや、見る人によってはそういう器用さのほうが目に付くかもしれない。 満島サンの評価って、かなり分かれるじゃないですか。 うまい、という人と、演じすぎが鼻につく、という人と。 満島ひかりという女優は、いつもどこか、世間の評価からはみ出そうとする印象を受ける。 「普通ではいられない意思」 みたいなものを感じる、というか。

 今回見ていて思うのは、満島サンの 「器用であること」 と、黒柳サンの 「個性的すぎること」 の 「劣等感」 が、見事にリンクしているのではないか、ということなのです。

 ともあれ、ドラマのなかの黒柳徹子にとって、テレビの世界というのは、おもちゃをひっくり返したような夢の世界。
 今回のドラマは、それを見事に再現構築していると感じます。 たった30分というのは、それ以上やるとリアルな感情のほうが勝ってしまいそうになる、ぎりぎりの時間なのではないか。
 ただ100歳の黒柳サンは、ちょっとリアル過ぎる(笑)。 テレビの世界でいつまでも老いない、そんなマジックをどこかで期待している自分もいます。

 脚本は 「はつ恋」「花子とアン」 の中園ミホサン。 その今までの、どのドラマとも違う。 料理のしかたがうまいな、という気がしています。


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