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Channel: 橋本リウ詩集
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「ラヴソング」 第2-3回 失うことの痛み

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 開始から 「年の差恋愛」 というキーワードがついてまわるこのドラマ。
 私も当初、「そういうドラマなら興醒めする」 と考えていたのですが、じっさい3回まで見た限りで言うと、「ハタチくらいの女の子が自分の父親みたいな年の男に恋をする」 という内容ではあるが、それは 「憧れ」 でしかなく、危惧されたような相思相愛水域にはいまだ踏み込んでいないように思えます。

 しかしなお、ネットの反応を見ても、このドラマに対する世間の認識には著しく誤りがある。 ネット民は 「そもそもフジテレビを見ない」 のだから、そういう誤解が解けないことは仕方ない。 ただし私としては、「OUR HOUSE」 の項で指摘したような、「ダメなフジテレビ」 がこのドラマでは感じられないことは、ここで表明しておきたい、と思います。 フジテレビは、全部が悪くなってるわけでもない。

 まあ、局のイメージが悪くなるということは、こういう良質のドラマの注目度も下がる、ということなんでしょう。
 それに、「フジテレビ流」 の番宣が展開するごとに、そういうのに食傷している層の反発を食らって逆効果だ、ということは確か。 第4回ではフジテレビの女子アナが整備士としてゲスト出演、などという記事を見たけど、こういうのが生理的に嫌がられるということに、フジテレビはまだ気付いていない。

 このドラマの最大の吸引力というのは、吃音に苦しむ佐野さくらを演じる、藤原さくらサンの 「歌声」 にあると思われます。
 だから彼女の歌声がいい、と思わない人は、あまりこのドラマを見たって仕方ないと思う(笑)。 私は彼女の歌を聴いて、もうすでに2回泣いちゃったんですが。
 どうして泣けるのか、というと、劇中で彼女の歌う 「500マイル」 が、沁みるからなんですね。

 ネットによる情報だと、ドラマでの彼女の出身地である広島と、ドラマの舞台である東京とは、距離にしてだいたい500マイルだ、という。 ドラマ設定としてその距離に確かな根拠が付帯していることを置いても、遠く離れた故郷を思う心と、その孤独が、吃音で苦しむ彼女の設定と、ぴったり合っていると思うんですよ。

 次の汽車が 駅に着いたら この街を離れ
 遠く500マイルの 見知らぬ街へ
 僕は出て行く 500マイル

 ひとつ ふたつ みっつ よっつ
 思い出数えて 500マイル

 優しい人よ 愛しい友よ
 懐かしい家よ さようなら

 汽車の窓に 映った夢よ
 帰りたい心 抑えて
 抑えて 抑えて 抑えて 抑えて
 悲しくなるのを 抑えて

 次の汽車が 駅に着いたら
 この街を離れ 500マイル

 このスタンダードナンバーの訳詞が、7年目の命日も間近な忌野清志郎サン。
 忌野サンの訳詞というのは、ジョン・レノンの 「イマジン」 なんかもそうなのだけれど、かなり言葉は削ぎ落とされるにもかかわらず、原文に忠実、という印象をいつも受けます。
 いわばそれは、「無垢」 をいつも連想させる。
 その 「無垢」 は、吃音で世間と距離を置かざるを得ないさくらの心理とも、奥低で結びついている。

 ドラマでは、さくらにとってこの曲は、死んだ母親が好きだった大事な曲です。 回想シーンから、母ひとり子ひとりの状態で母親が死に、養護施設に預けられ、その時からすでに吃音になっていることが分かります。 そこでみんなにからかわれたりしているところを助けたのが、真美(夏帆サン)であったわけです。 真美とは当然、親友となり、一足先に東京に旅立った真美を追って、さくらも広島を出ている。

 だから広島には、基本的にいい思い出があるわけではないように感じる(まあ、広島カープの黒田が初恋の人とか、あるのだけれど…笑)(オッサンフェチの兆候がここにも見られる…笑)。
 とまれ、この曲にある 「望郷の念」 の中心は、おそらくそれは広島に向かっているわけではない。 彼女にとっての故郷というのはあくまで、遠くは 「母親」 であり、いまは 「親友の真美」 であるように思われるのです。

 その親友の真美が妊娠し、結婚してしまうことで、彼女は今まで真美におんぶにだっこだった自分の人生を、根本から改めなければならない必要性に迫られている。
 その苦しさや、「失われつつある自分の故郷=母親、真美」 への思いが、彼女の歌う 「500マイル」 には凝縮されていると思うのです。 それが、私を泣かせる。

 吃音の彼女にとっては、自分の親しい人以外と付き合うことは普通の人以上につらいことなのですが、人間というもの、特に吃音でなくとも、他人とのかかわりに苦痛を感じることは、大なり小なりあるものです。 いわば彼女は、私が感じている 「この世の生きにくさ」 の、代弁者でもあるのです。

 そしてドラマでは、彼女の歌声は、東京で出会った父親みたいな年の 「腹黒いオヤジ」(笑)である臨床心理士・神代広平(福山雅治サン)にも同時に向かっている。

 第2回、真美が破水したときになにもできなかったことで、好意を寄せている公平の 「ほんの数秒の勇気で世界は変わる」 という言葉に失望したさくら。 「自分の居場所」 であるクルマの下に滑り込んできた公平に、彼の評価をぶちまけます(笑)。

 最初公平は、さくらの靴を見てこう評価する。 「佐野さんの靴はさ、すごく頑丈そう。 強くて、丈夫で。 でも、実はぼろぼろ(靴を隠そうとするさくら)。 それでも、傷ついても、傷ついても、生きてく強さを持ってる」。

 さくら 「せ…整備士はみんな、く…靴おなじだから。 …は…恥ずかしい」

 公平 「じゃあ、オレのは?(スライドして自分の靴を見せる) これ」

 さくら 「く…黒い」

 公平 「え?」

 さくら 「まっ黒」

 公平 「いや、違うでしょ(黒くないしきれいだし)」

 さくら 「こ…心がどす黒い。 腹黒い。

 え…偉そうなのに小心者。
 わ…若ぶって、…す…すかしたクソジジイ。
 …ぜ…善人ぶった、い、…インチキ男。
 こ、こ、腰抜け野郎」

 これらはみんな当たってるんですが(笑)、いや、よく見てるなさくら(笑)。 以前宍戸夏希(水野美紀サン)に対しても公平のことを 「あんなオヤジ」 と自分の恋心を見透かされまいと(見透かされまくりなんですが)評価してたのと通じています。

 そんなさくらの 「恋心」 を分析すると、おそらく記憶にすらない自分の父親の面影を、公平に追い求めているような側面もある。 夏希に指摘された 「陽性転移」 という医学専門用語に自分を当てはめて、「これは恋心だ」 と考えている、そんなからくりも見えてくる。
 さらに、真美と決別しなければいけない、という心理状態から、言い方はあざといけれど 「代替品」 を公平に求めている部分もあるような気がする。 自分が頼れる拠りどころ。

 彼女はタバコ嫌いのネット民から総スカンを食らいそうなほどのヘビースモーカーで、ことあるごとにいつもプカプカプカ~してるのですが(笑)、そのきっかけはフジテレビ…じゃない、「タバコの煙は吃音を治す」 という迷信だったりします(まあ気分を落ち着かせるしね)。 そのうちに依存状態になってるわけですが、彼女はいつもそうした、「頼れるもの」 に対する飢餓感を抱えている。
 真美が破水した時も、救急に結局何も話すことができず、空一(菅田将暉クン)や公平に電話しまくり、果ては隣の部屋の人とか道行く人にすがっちゃったりするんですね。 まあ、第1回のように自分で電話予約できないから、直接お店に行っちゃうというケースもあるんですが。

 そんな彼女が真美以外でいちばん頼れそうなのが公平。 彼女はだけど、若ぶってすかしたインチキ野郎だという認識を持っていながら、自分の吃音を治す唯一の手段である音楽という分野でのリード役として、公平を求めているんですね。 それを彼女は今のところ 「恋」 だと感じている。

 しかしそのボーダーラインって、かなり曖昧なはずなんですよ。 要は、さくらが公平なしでも生きていけるのかどうかなんじゃないのかな。 いつまでも公平と一緒にいたい、というのであれば、それは 「恋心」 で括られるはずなのだろうけれど。

 でも公平サイドとしては。

 それは曖昧であるからこそ、「陽性転移」「恋愛転移」 で括ってしまおう、という部分があるように感じる。

 このドラマを3回まで見てきて、特に感じるのは公平のさくらに対する態度の、「ある種の冷たさ」 です。
 公平は表向き、さくらを吃音の患者だとして付き合っているようにも思える。 たぶんそこには、ドラマ上 「激モテ男」 であるという設定も絡んでくるのですが(笑)、「激モテ男」 で 「臨床心理士であるにもかかわらずヒモ」 であるからこそ、当たりが柔らかいんですよ。 そこに女性はみんなメロメロになってしまう(笑)。
 さくらはその、公平の 「表面上の当たりの良さ、優しさ」 というものの正体を見透かしてはいるんですが、公平に対する好意の入り口は、そこだったりする。

 公平はさくらのその思いを知ってか知らずか、さくらの熱い視線をわざとそらすようなマネをたびたびします。
 それはさくらが患者である、という認識以上に、「さくらを見ていると死んだ自分の恋人を思い出す」 という要因が絡んでいることは確かです(娘みたいな年、っていうのも大前提で確実にあるが)。

 このドラマの大きな柱が 「さくらの吃音」 であるのと同時に、「公平の空虚」 であることは論を待ちません。
 さくらが好きな 「500マイル」 が、公平の死んだ恋人、宍戸春乃(新山詩織サン)の好きだった曲とかぶっている、というのがドラマ的な偶然とはいえ、哀しい。

 そしてその、死んだ恋人への思いを断ち切るために、さくらのライヴをギターでサポートしよう、とするのです(第3回)。

 お互いに、相手のことを思いながら歌い、プレイする。 そういう約束の下で行なわれたさくらのライヴ。 選曲的には新旧取り混ぜて、という感じでしたね。 荒井由実サンの 「やさしさに包まれたなら」、ラヴサイケデリコの 「ユアソング」、そしてジャズスタンダードの 「サマータイム」。
 佐野さくらを演じる藤原さくらサンの歌は、基本的にハスキーで息が抜けるような感じ。 手嶌葵サンみたいなところも少しあるけれど、彼女が影響を受けているノラ・ジョーンズ的な部分も見え隠れします。 ちなみにノラ・ジョーンズはビートルズと少なからず縁があるのですが、それを語り出すと長くなるのでやめます(笑)。 舌足らずで歌う部分が好き嫌いの分かれるところではないか、と思うのですが、私は気にならないほうだな。

 その彼女の歌う 「500マイル」、これがライヴのラストだったのですが、やはり泣ける。 おそらくドラマの 「佐野さくら」 が歌っているからなんだろうけれど、ここでドラマは少々ショッキングで残酷な展開を示すのです。

 鳴りやまないアンコールのなか、公平はさくらの片手を持ち上げて、「ウィナー!」 のポーズをとります。 「う…歌いたい…」 さくらは公平に向かって言うのですが、歓声にまぎれて聞こえません。

 公平 「えっ?(さくらの口元に耳を寄せる)」

 さくら 「う…歌いたい。 も…もう一曲…」

 その途端。

 公平の顔から、笑いがさっと消えます。 上げていたさくらの腕から手を離し、エレアコ(エレクトリックアコースティックギター)のコードを抜く公平。 聴衆にはさくらを持ち上げるような仕草をしながら、さっさとステージから、降りていってしまうのです。

 茫然と独りステージに取り残されるさくら。

 もちろん、独りでは何もできません。

 それでも鳴りやまない歓声のなか、どうしていいのか分からず、いたたまれなくなって逃げるようにステージを降り、トイレに駆け込んでしまう。 慟哭するさくら。 公平はまるで別れを告げるように、エレアコをギターケースにしまいこむ。

 このシーンを見ていて、「もう一曲、歌いたい」 というさくらの言葉が、死んだ春乃に対する公平の苦い記憶を、鮮明に呼び覚ましてしまったのではないか、という気がしました。
 しかし臨床心理士としては失格。 患者のことを考えている、とは思えません。 さくらは拭いがたい傷を、ここで負ってしまった。

 帰りのバスのなかで、「アンコール、やってあげればよかったのに」 という夏希に、公平が答えます。 「未練がましくなんだろ」。

 夏希 「えっ?どういう意味?」

 公平 「今夜のステージでおしまい。 オレは引退」

 夏希 「引退っていまさら…」

 公平 「なんかさ…。

 曖昧なままに終わってたじゃん、20年前。

 もういい加減、ケリつけようと思ってさ。
 今夜のステージに上がる前に、そう決めてたんだよね」

 何も言い返せない夏希。

 しかしここで、このさくらのステージを録音しているヤツがいました。 さくらにメジャーデビューの話がおそらく次回は巻き起こるはずです。 第3回ですでに初ステージを踏んでしまったさくら。 性急な展開のなかで、さくらの思いだけが取り残されて置き去りにされていくはずです。
 母親を失い、親友の真美を失い、公平を失っていく。 そんなさくらの痛みが、ドラマを貫いているのです。

 それにしてもこのドラマ。

 結構注意深く見てないと分かんない部分があり、少々アホな人には理解しづらい内容になっている気はします(笑)。 第2回の先ほど抜粋したさくらと一郎…じゃなかった、公平のクルマの下でのシーンのあと、さくらがいきなり笑いだすんですよ。 なんで笑ってるのか分かんなかったんですが、ささ様のご指摘で分かった(笑)。 たぶんスライドシートに書いてあったと思われるバッテンが、そのまま公平のカーディガンにうつってしまったから。 アホだから分かんなかったなァ~。

 ただこのシーン、説明不足ということは否めないが、よくよく見てみると、公平もワケ分かんないままつられて笑ったりしている。
 まあどっちみち、帰ってカーディガンを脱いでから気付くのだ、と思うのですが、おそらく公平の心理的には、さくらは吃音症でどことなく普通の人の精神状態とは違う部分があるのかも、という感覚で、つられて笑っているように思えるんですよ。
 公平がさくらに対して取る、一定の距離間の要因には、そんなこともたぶん加味している。

 あと、蛇足なんですが。

 ギターの種類とかは番組のHPでいろいろ紹介されているので、そんなとこにもひとかたならぬこだわりが隠れているのが分かるのですが、ギター弾きにとってはよくある話で笑っちゃうシーンも、サブリミナルみたいに挿入されてたりするんですよ。

 公平がさくらの新しいギターを買おうとするシーンで、ギターのボディを、穴を逆さにした状態で振ってるシーンがありましたよね。

 アレってギターピックがホールのなかに入っちゃった、つーことですよね(笑)。 ギターピックつーのは、爪じゃなくてギターをジャラランと弾くのに指で持つ、三角形のプラスチックみたいなやつのことですが、アレってよく、ギターの穴のなかに入っちゃうんだ(笑)。 ギター弾きでないと分からない話です(ギターを 「引く」 じゃなくて 「弾く」 だろ、というさくらの空一へのツッコミも笑った)。

 そして公平が弦のあいだに挟んでいたギターピック(私もこの方法でピックを留めてます…笑)。
 そこには 「H」 の文字が。
 もちろんそれは、「春乃」 のHなんですが、フツーに漫然と見てるとちょっと分からない。
 そんな些細なところにも、このドラマはかなり神経が働いている、という印象を受けるのです。


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