上杉景勝に付添い、大坂に赴くことになる信繁。 第14回 「大坂」 ではその必然性をこれでもか、とばかり描写したのに対し、第15回 「秀吉」 では信繁がその最期まで付き合うこととなる秀吉と、それを取り巻く人々とのファーストインパクトを強烈に演出しました。
私はこの 「真田丸」 というドラマ、信繁が豊臣に請われて大坂の陣に出陣するまでの長い蟄居期間をどのように描くのか、今から期待と心配をしておるのですが、おそらく信繁が豊臣方にもう一度味方するには、豊臣ファミリー、ことに淀の方(茶々)にそこまでの吸引力を持たせなければならない、そう考えています。
信繁が豊臣に味方するもうひとつの要因、徳川方へのネガティヴイメージというのは、着実にポイントを上げてきている。 北条との 「フザケンナヨ」 的和睦とか(その直前に成功した自分の戦功もこれで完全にフイ、というのも大きい)、その後の第1次沼田攻めなどですね。 何より、信繁がこの沼田での戦において、最愛の妻お梅を亡くした、という設定にしたことは決定的だ。
第14回 「大阪」 ではその死に大きく落ち込む信繁を、三谷サンは大坂行きのひとつの動機に据えた。
ここで注目されるのが、信繁を大坂に随行させようとする上杉景勝の性格設定です。
景勝が信繁の人柄に惚れ込んでいるのは見ていて分かる。 唯一の頼れる部下である兼続が今回ヤケにクールな男という設定であることも加味しているのですが(笑)、景勝は信繁に対して自分の本心を明かせる相手として認めているだけでなく、「自分の見栄を張れる相手」 として信繁を選んでいることにも注目したいんですよ。
今回の景勝は、見栄っ張り。 だから秀吉から上洛せよと要請を受けても、「これって上杉が秀吉に下ったわけじゃないからね、ねっ、ねっ」 みたいな見栄を張りたい。 それで、今回はちょっとした旅行も兼ねてます、という意味で信繁を大坂に随行させる、そんな側面を密かに演出している。
ここらへんの周到さがすごい。 完全な必然性を構築してますよね。
そして信繁を大坂に連れていこう、という景勝に思わせるほど、今回信繁を落ち込ませている。
この信繁の 「妻を失った悲しみ」 を癒し、同時に乗り越えさせる武器として三谷サンが使ったのが、徳川を出奔させた石川数正(本多じゃない…笑)。 この 「徳川への裏切り」 に、三谷サンは 「真田信尹の調略」 を使ったんですが、「徳川の牢屋に入ってる信尹にどうやって調略させるんだよ」 という部分は正直説明不足として(笑)、三谷サンの本当の目的は、別のところにあった。
ただ話はそれますが、この、「石川数正の裏切りを唆した」 信尹を家康が召し抱える、という話の運びにしたことも、なんか細部にまで抜かりがなくてシビレます。 「自分が昌幸と裏でつながってるのも分かってて召し抱えちゃうの?」 と念を押してる信尹なのに、それを承知で牢屋から出しちゃうんですからね、家康。 すごくキナ臭さが残ります。
で、三谷サンの本当の目的ですが、その石川数正と、信繁を会わせるんですね。 その前段階として、信繁の落胆を、お付きの三十郎に励まさせている。
「落ち込むのは分かりますが、前に進みましょう!世の中動いているんですよ!立ち止まってるヒマはないんです!これってお梅さまを忘れることとは違うんですからねっ!」
この励ましに信繁は 「お前に何が分かるのだ!」 と食ってかかるのですが、この信繁の 「お梅に何もしてやれなかった」 という悔しさを挽回するきっかけに、石川数正を使っているんですよ。
上洛の上杉一行についてきた信繁に、石川数正が会いたい、と。 この取次ぎを仕切っているのが何気なく石田三成だったりします。 のちに言及することになりますが、今回私が秀吉以上に 「キャラ設定に気を遣ってるな」 と思わせたのが、誰あろうこの石田三成でした。
石川数正は信繁に会うなり 「テメーの叔父ちゃんがオレを唆したおかげで徳川がオレを殺そうと刺客を放ったってんでこんなとこに閉じ込められてんだよ、チクショーっ!徳川様に恩があるってのに!ひどいじゃん!どーしてくれるんだよーっ!飲まなきゃやってられっかっての!グビグビ!飲ま飲まイェー!マイアヒ!マイアホ!」(後半は作りました…笑)。
つまり裏切りを 「後悔」 している数正と、妻になにもできなかった信繁の 「後悔」 を、ここでリンクさせているんですね。
それを見た信繁。 「最後は、自分で決めたことなのですから、自ら責めを負うしかないと思いますが」。
「先が読めないのは、みな同じです。
だから、必死に生きているんです。
人を騙したり、裏切ることもあるでしょう。
でもそれは、善とか悪で計れるものではない、と私は思うのです。
石川様。
とりあえず、先に進みましょう!」
この石川数正への言葉は、そのまま信繁自身にも向かっていることは確かです。 ここではけっして、悪事を働くことを奨励しているわけではない。 どのように生きようが、必死に生きた結果ならば、それはいい悪いの問題で考えることはできない、というひとつの哲学であろう、と思うのです。
ここで重要なのが、「必死に生きた結果ならば」 ということ。 怠けたいとか、遊びたいとか、そんなこと一度でも考えてみい! そんときゃ鉄矢、…死ね。 あ、じゃなくって、いや、そうです(笑)。 とにかく必死に生きろよ、ということです。 「生きること」 の意味は、「生きていくこと」 にある。 死んだように生きることじゃない。
ましてや戦国時代なんか、年金とか生命保険とか、あるわけじゃないですもんね。 石にかじりついてでも生きる、という意思が、必要なわけですよ(シャレか?)。
そして信繁の落胆を別の意味で癒していく要員に三谷サンが使ったのが、きりです。
このきり、三谷サンの 「破壊癖」 を一手に引き受けている(笑)。 三谷サンのコメディの中核には、常識を破壊したいという衝動がいつも込められている気がするんですが、かわいそうなのはきりを演じる長澤まさみチャンのほうで(笑)、「真田丸」 批判の中核をいつも占めてしまうことになっている(笑)。
しかしそれに負けず、みんなからウザいと思われようが、そのぶち壊し役を 「石にかじりついてでも」 やり抜く、というまさみの意思に(また同じシャレか?)、私は感心をするのです。
ここでのきり、梅の忘れ形見であるすえのお守役を引き受けたものの、あえなく挫折して育児放棄。 この 「堪え性のなさ」 が現代人に通じるところがあるのですが、三谷サンのきりに対する位置付けは、まさしく 「現代人」 のそれ。 上杉上洛についていく信繁のお付きに回されることとなるのですが、そこでも兼続とか名だたる人物たちに対してまるで身分の違いなど頓着せぬ物言いの連続をします。
しかしそれが却って、「戦国時代に迷い込んだ現代人」 という、タイムスリップみたいな不思議な感覚を想起させる。
SFの世界の人間だから、その無礼に景勝もまったく関心を示さないし。 却って信繁と丁々発止をするところを見て 「仲がよさげではないか」 と茶化す始末。
きりの存在をきちんと認めているのが、この唯一この信繁なんですよ。 このドラマではきりの父親である高梨内記も、娘をただの手駒としてしか考えていないようなところがある。 きりをきちんと 「存在している」 ように思っていたもうひとりが梅だった気がするのですが、その梅もあまり歴史的には重要視されていない、いわば 「存在してないような扱い」 だった。 「存在していない者同士」 が心を通じるのはこのドラマの、約束のひとつだと思われるのです。
きりがまるでその場の空気みたいな扱いをされるのと同様に、信繁に対して最初 「いないも同然」 の扱いをするのが、石田三成です。
信繁は最初、直江兼続から紹介されるのですが、この流れというのはちょっとヘンな感じがします。 信繁はあくまで上杉の随行として来ただけで、兼続が三成にいちいち紹介するいわれがないように感じる。 兼続としてはついこないだ徳川を破った真田昌幸の息子として、信繁を紹介したかったんでしょうが。
三谷サンがここで示したかったのは、それを完全無視する三成の姿だ、と思うのです。
信繁が三成と言葉を交わす最初は、信繁のちょっとした疑問です。 「どうしてわざわざ京でいったん足止めされて、改めて大坂の秀吉に会いに行くとか、まどろっこしいことをしてるのか?」。
信繁は三成のそっけない返事から、「あーそうか、このまま大坂にストレートで行っちゃったら、『上洛』 になりませんもんね!」(笑)。 そばにいたきりは 「ワケ分かんない」(笑)。
「現代人」 のきりは三成の横柄な態度に 「なにアレ?チョームカつくんですけど」(後半は作りました…笑)。 信繁は 「人を不快にさせる何かを持っている」 と評します。 兼続は 「だが頭は切れる」。 「見えませんけどね」 ときりが即座に突っ込むが、兼続は反応しません。 だってきりは 「存在してない」 から。
これ、すごいからくりだと思うんですよ、ドラマとして。
ここで兼続が、「石川数正が、おぬしに会いたがっている」 と信繁に言って、先ほどのシーンとなるわけですが、これがそっけなさすぎの三成がお膳立てした、というのがまた重要に思えるんですよ。
そしてまたもや秀吉との謁見が繰り延べされたときに信繁が宿所として案内されるのが、三成の屋敷なのです。
三成の言うことにゃ、「お嬢さんお逃げなさい」 じゃなくって、「上洛するヤツがいっぱい過ぎて泊めるとこがないので仕方なくウチで我慢してもらう」。 エラソーというかちょっと信繁を気にかけてるのがチラ見えするというか。 このビミョーなさじ加減。
そしてきりに 「お前の寝場所はここだ!」 と物置に連れていく(笑)。 当然ですよね、「存在してない」 んだから(しつこい…笑)。
そこで信繁は、そっけない点では夫と瓜二つな御内儀(笑)と食事を共にし、「過去の秀吉リスペクト」 な(笑)加藤清正が駄々をこねてるところに遭遇したりする。 「オレはさぁ!昔の秀吉のほうがずーっといいと思うんだよね!今じゃ関白とかあんなに大物ぶっちゃってさ、あれじゃ秀吉じゃねーよ!」 みたいな(笑)。 それをエラソーになだめているのが三成で(笑)。 「じゃお前も官位を返上するか?」「いや、アレって、名前の響きがいいんだよね!」(笑)。
信繁が豊臣の内情をそれで即座に把握するのにじゅうぶんな情報だ、と思うんですよ、このシーンは。 そこに次回の 「秀吉」 で、「秀吉ファミリー」 の素朴で悲しくも美しい内情が展開し、信繁の気持ちを豊臣方になびかせる強力な動機としていく。 その点に関しましては、当ブログコメンテイターのささ様のコメントをお読みください(笑)。
そしてようやくお目通りの日、「私も関白様に会いたいんですが」 という信繁を三成がそっけなく次の間に待たせてひとりぼっちのところにいきなり乱入してくるのが(乱入、違うな…笑)、のちの淀の方、少女時代の茶々なんですよ。
「あなたはだあれ?」(確か 「ウルトラセブン」?…笑)
つーか、トトロに出会ったメイみたいな(笑)。
いや、「あなた、アレ?」 でした(笑)。
「アレでしょ?真田なんとか!」(笑)。
「さようでございますが…」。 完全に面食らっている信繁(笑)。 「フフフ! どっから来たの?」。 ああ、やっぱりメイだ(笑)。
「上田でございます」「聞いたことない」「信濃です」。
そして上田の位置を説明する信繁の両頬をいきなりつかんで 「わりと好きな顔!」(笑)。
茶々って浅井から引っぺがされた悲劇からそんなに経ってない時間軸だと思うんですが、それにしちゃちょっと明るく描き過ぎではないか?というこちらの懸念もなんのその、三谷サンは信繁と茶々の最初の出会いを、ここまでインパクトのあるモノに仕立て上げたのです。
そしてその裏で、「殿下はお前とはお会いにならない」 という三成の冷たい言葉と裏腹なことが、茶々によって明かされる。 「殿下はあなたと会うのを楽しみにしておられましたよ」。
これ、三成ってどーゆーヤツなのだ?という気持ちを信繁に沸き立たせるのに、じゅうぶんな 「腹のうちの読めなさ」 ではないですか。
そして信繁を威圧する大坂城の威容と裏腹に現れた秀吉の気さくなさ。 この月とスッポンとも呼べる格差が信繁を捉えていくのです。
そしていきなり信繁を大人の世界に連れて行き(笑)「あんなに美人な女は信濃にゃいないだろー?だろ?だろ?」(笑)その場で大酒かっくらっていた福島正則に 「あっオマエ、なんでそんなデカイの(枡)で飲んでんだ?しょーがねえなァ~はっはっは」。
この軽いのが、のちに 「検地に使う米の枡の大きさがまちまちなのが諸悪の根源だ、大きさを統一させよ!」 という政治判断につながっていくところなどは見事。 ただその場で、福島正則と自分の枡の大きさを見比べて、スンゲー怖そうな顔をするんですよ。 「なんでオレの枡のほうが小さいのだ?」 って小さいことを考えてるのかな、と思ったらこれだ。
その 「秀吉のスゲーコワイ顔」 が展開するのがもうひとつあるんですが、ここに関わってくるのが茶々と弟の秀次(だったっけな…笑)。 とにかく「真田丸」 における秀吉の解釈のしかたは、「スンゲー気さく、そしてスンゲー怖い」。
そして信繁を気に入った秀吉に、まるでなびくかのごとく、三成の信繁に対する姿勢も変わっていく。 そのからくりを教えてくれるのが、大谷吉継なわけですが、この吉継の娘がのちの信繁の正室になる、という押さえも忘れない。
この、三成の性格描写。 あまりにも念が入り過ぎていて、私は秀吉なんかより三成の動向が気になってしまったのですが、「こういう杓子定規的なつまんなそ~な男に、のちにどうして信繁が味方しようとするのか」 ということの布石がばらまかれている印象、というのを、この2回から持ったのです。
あとはささ様が、前回の 「真田丸」 レビューのコメント欄で、たっぷり解説してございます。 オレのほうのレビューなんか読む必要ないほどに(爆)。
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「真田丸」 第14-15回 その死まで付き合うことになる、三成、そして淀
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