フジテレビが日曜夜9時からのドラマ枠を復活した第1弾(2弾があるかどうかは疑わしい…)、「OUR HOUSE」。 新聞によりますと4月からの春ドラマで全局最低の4.8%という、見るも無残な視聴率だったそうです。
しかしこれほど、その原因が分かりやすいケースも珍しい。
要するに、現在のフジテレビが、その原因にも気付かないほど機能不全に陥っていることの証左であるともいえる気がするのです(当ブログ史上一番辛辣なこと言ってる気がする)。
まず、「日曜夜9時」 という時間帯設定。
ここ数年、この時間帯は完全にTBSの独壇場です。 同時間帯に数年前にフジテレビが仕掛けた時も、「マルモのおきて」 というヒット作以外はおしなべて視聴率が悪かったように記憶しています。 いわば 「マルモ」 は例外中の例外。 しかもこの時期、裏のTBSではスーパーヒット作の 「JIN」 の完結編が放送されていたから、「マルモ」 の大健闘は当時でもかなり話題に登っていた。
フジテレビはこの、「当たったドラマのいい思い出よもう一度」 というスケベ心丸出しでこの時間帯にドラマを仕掛けてないか。
ここ数年のフジテレビの局の姿勢を見ていると、どうも 「過去の栄光」 に幻惑されているのではないか、と思うことがよくあります。 その傾向が今回も容易に見えてしまう。
しかし、ヒット作というのは一朝一夕にできるものではない。 腰を据えてこの時間帯にTBSに対抗していこう、という姿勢が見えなければ、視聴者はどうやったって見くびっちゃうんですよ。 あっちにフラフラ、こっちによそ見では、注目度なんかジリ貧ですよ。
しかも、脚本が 「かつてのヒットメーカー」、野島伸司氏。 主演が 「マルモ」 の芦田愛菜チャン。 愛菜チャンの相手役に 「マッサン」 で注目されたシャーロット・ケイト・フォックスサン。
実に失礼な言い方をいたしますが、どれも 「過去の栄光」 というイメージが導き出されるスペックばかりじゃないですか。
いや、その人たちが悪い、と言ってるんじゃない。
使う場所が間違っている、ということ。
芦田愛菜チャンを使うとか、「マルモ」 の夢よもう一度、というのが、最近のフジテレビの持つよくない 「凋落イメージ」 と、簡単に結びついてしまうんですよ。
そして、シャーロット・ケイト・フォックスサン。
私 「マッサン」 の頃、結構好きだったんですが、それ以降この人を日本で見かけると、なんかいじましいものを感じてしまう。 「CHICAGO」 に抜擢とか、アメリカでご活躍される分には、とても誇らしい気持ちになったものなんですが。
日本でもしご活躍されたいんであれば、それなりの戦略をもって臨まないと、「出稼ぎですか」 みたいな感覚で日本の視聴者に見られてしまうんじゃないのかな。
テレビ局側の姿勢としては、彼女は器用に際して実に神経を使わなければいけない素材である、と私は思うのです。 その姿勢自体が、今のフジテレビには完全に欠落している。 彼女はもっと堅実な番組で、またはNHKみたいな堅実な局で日本に定着させる必要があるのに、「マッサン」 で人気だったから、という安易な理由だけで彼女をドラマに起用している。
野島伸司サンについては、「脚本家には旬の期間がある」 ということの認識が、フジテレビのドラマ制作責任サイドには決定的に欠けている。 トレンディドラマ全盛のときに大先生だったから今も視聴率に対して有効か、と言えばその答えは明らかにNOです。 非常に酷なことを書いてますけどね。 野島先生の功績には敬意を表します。
ただこれも、フジテレビ自体が 「過去の栄光」 に囚われすぎている一連の発想に通じるものがあります。
現実をシビアに見る目が、「今のフジテレビを実質的に動かしているセクション」 には失われている(現場サイドが動かしてるわけじゃないですからね)。
要するに、「このドラマを見せたいんだ!」 という心意気を感じないんですよ。 「こういうの作りゃ視聴者は見るだろ」 みたいなゴーマンな感じで。
そして、第1回目の内容。
脚本の細部に関する良し悪しを度外視して考察を進めますが、まず大まかなドラマ全体の話として、「母親が死んで半年で父親が連れてきたのが外国人の奥さん、それに反発する長女との間のバトル」 というのが、もうもっとも初期の企画段階でダメ出ししたくなるような素材であり。
だって結局仲直りするんでしょ?というのはもう分かりきっていることで。 視聴者はこの時点でもう、結構引いてる。 別に見なくても、という気になってる。 だからー、外国人の奥さんがシャーロットでしょ! 娘があの芦田愛菜でしょ! という発想をフジテレビはしている、と思うんですが。
芦田愛菜チャンの演技は久々に見ましたが、どうもこのコの演技は、「器用貧乏」 に陥っているような気がしました。 すごくうまいんだけど、なんか器用さばかりが目立ってしまっているような感じ。
その愛菜チャンが、母親が亡くなった家庭を実質的に支配してるんだけど(笑)、それが愛菜チャンを現在取り巻いている実際の状況を、なんか連想させちゃうんですよ。 演技がうますぎるから、彼女に何かアドバイスする人がいなくなっているような。 このコの才能があるのは明らかなのだから、もっと大物ベテラン俳優たちのなかでもまれたほうが、きっともっと育つような気がする。 どこか独りよがりな感覚がある。
いずれにしても成長途上の女優さんだから、今後に期待はしてます。
そして物語の冒頭、この子たちの母親が死んでしまうのだけれど、なんだかそのシーンがこちらの胸を打たない。
なんか、ウソ臭さが充満している、というか。
私はこのシーン、いくら諸々のことがダメでも、ここで見る側の心をつかめばドラマ自体がなんとか推進していくように思うんですよ。
しかしこのドラマの演出家は、それを完全に軽視している、ように、私には思えた。
このドラマは基本的にコメディだ、と思うのですが、「コメディだから母親の亡くなるシーンもそんなに深刻じゃなくていい」 という演出意図があったんじゃないか。 でもその演出方向は、間違っている。 ここでウソ臭さを演出してしまったら、その後のこの家庭に、視聴者が共感してのめり込めないではないか。
フツーこういう場合、冒頭部分だけでリタイアしちゃうのが私の常なんですが(笑)。
最後まで見ちゃった(笑)。
なんか、芦田愛菜チャンの 「方向性がずれているようなうまさ」 の不安定さと、シャーロットサンの 「このドラマのこの役をどうやって演じていこう」 という迷いと、ほかの共演者たちの、どことなく全開の本気が見えてこない現場の空気のギクシャクが伝わってくる作りが(笑)、なんとなく気になって最後まで見ちゃった、みたいな(笑)。
今回は、かなり失礼なことをいろいろ書いてしまいました。 御不快な思いをしたかたには、伏してお詫び申し上げます。
しかしこれも、一時期はドラマで完全に 「ドラマのTBSよりよほどいいもの作ってんじゃん」 と感心していたフジテレビに対する、叱咤激励と思っていただければ、幸いなのです。
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「OUR HOUSE」、何がそんなに悪いのか
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