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Channel: 橋本リウ詩集
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「真田丸」 第13回 お梅はなぜ死ななければならないのか

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 上杉と手を結んだ真田が上田城において徳川の軍勢と対峙する第1次上田合戦。 歴史好きにはこの合戦の勝者は真田で、徳川は大軍を繰り出したのにボロ負け、というのが分かっています。 さらに今回、ドラマのなかで昌幸が仕掛ける軍略チャートを見ていれば、その知識がないものでも、「これは真田の勝ちだな」、というのが即座に分かる流れでした。

 あとは真田勢が仕掛ける城内のトラップがどのように機能するのかとか、相手を甘く見てかかる徳川勢がどのように鼻先をへし折られていくのかを、ワクワクしながら待つだけ、という話になるはずだった。

 しかしそこに三谷サンが仕掛けたのは、信繁の最初の妻、お梅の 「危なっかし過ぎる」 一連の行動でした。

 お梅は信繁とのあいだに長女をもうけたばかりであり、お乳が張ってしょうがない時期。 だのにお梅は戦支度の段階からお城にただいることをよしとせず、去年の大河ヒロインみたいに領民におにぎりを運んできたり、赤子に乳をやりに行ったり、お城と城下をあっちこっちとチョロチョロチョロチョロ。

 そのうちに、上杉の人質から一時戻ってきた信繁とニアミスする。 このすれ違いはスローモーションで、いかにも今生の別れみたいな描写です。
 戦が始まっても、戦略上かなり危険な本丸の門から外に出ようとする。 そのとき敵を扇動し本丸までおびき寄せてきた信繁とようやく遭遇し、「こりゃかなりマズイ」 というときに佐助が天の助けとばかり現れて、ようやく見ているこちらがほっと胸をなでおろしたのもつかの間。

 戦いが終わって城下を見て回る信繁が目の当たりにしたのは、予定外のところになだれ込んだ徳川勢の一部が、梅の兄作兵衛の拠点で小競り合いを起こした跡。
 「作兵衛の拠点だった」 ということがまずかった。
 佐助に連れられお城に戻った梅はその様子を見て、兄を助けようと、その場所に向かったのです。
 そして信繁は、梅の亡骸と対面することになる。

 室賀が殺されたときのきりの一連の行動の時もそうだったのですが、「どうしてこういう行動をとるのか」 ということを見ている側は即座に考えます。
 私も、「どうして梅は、側室とは言え信繁の妻なのにお城にデーンと座っとらんのか、しかも赤ん坊の世話が第一じゃろう」 と最初はヤキモキしました。 梅は結局殺されてしまって、「そりゃ自己責任ってもんだろう」 とも思った。

 しかし。

 どうして三谷サンが、そんな抜けベンベンな話を作るでしょうかね。

 「そりゃ黒木華サンは春ドラマの出演で忙しいからだろう」 とか(笑)、「のちに正室もらうために死なせたんでしょ」 とか、「戦の悲劇を演出するためのもんだよ、でもこんな理解不能のことさせたあげくに死なせるとか、かえって梅の死が軽くなって逆効果」 とか、「三谷の腕も落ちたもんだ」 とか、現代人の我々はそっちに目が行きがちです。

 私が考えたのは次の二点。

 まず、梅の真田家における立場ですが、「やはり自分は農民の出で、側室以上のものになれない」 というはっきりとした自覚が梅にあったのではないか、ということ。 特に信繁の母、薫に対しては引け目を感じる場面が以前にあった、と記憶しています。
 今回、梅は薫ときちんと話をして、その引け目というものはだいぶ軽減されたようにも思うのだけれど、「自分は農民の出」 という自覚が消えることはなかった。
 却って子供を産んだことで子供を守る、という意識が芽生え、「その地を守る」 という農民的な意識と結びついてしまった。

 梅が上田城にじっとしていないことをたしなめるのは、ライバルで親友のきりだけです。

 この状況も結構重要な気がする。

 つまりばば様も信幸の病弱の妻も薫も、梅が戦闘に協力することについてある程度当然だ、と捉えているフシがある。
 つまりはそういうことなのではないか。
 お城にじっとしているのが 「当然」、と考えている、私たちの意識のほうが間違っているのではないか。
 それだけ身分の違いというのは、今の私たちから想像できない落差があったのではないか。

 お城の内外を行ったり来たり、というのも、上田城ってそんなに規模が大きくないんじゃないのか、みたいなことも考えられます。
 城、なんていうと今の私たちは立派な天守があってお堀があって、みたいに考えますけど、上田城のつくりって規模が小さくて、本丸の門以外は境界が曖昧だったのではなかろうか、と。
 だとするとお城の外を行ったり来たり、ということが、私たちが考える程 「危なっかしい」 ことではなかったのかもしれない。

 そしてもう一点。

 これは戦というものの性格なんですが、戦争ってなんでもそうだと思うのだけれど、「予想外のことが起きやすいものだ」、ということを、今回の話は浮き彫りにしている気がするんですよ。 けっしてお涙頂戴的な悲劇を描いたものではない。

 敵味方が入り乱れてワケが分からなくなる。 状況は 「優勢」「劣勢」 のあいだでアバウトに推移するものであって、正確に把握できるものではない。

 梅の悲劇、というのは、「自らの土地を守ろう、自分の子供を守ろう」、という強い意志から導き出されたものであって、けっして軽々しい短慮の末の無意味な死ではない。

 「そんなことするな」「ああしていればよかった」「こうするべきだ」 というのが、いちいち意味を持たなくなる世界。
 戦の持つ本質って、そこに潜んでいるのではないでしょうか。

 ましてや黒木華サンのスケジュールの問題でもないのです(笑)。

 まあ、そこまでを意図して三谷サンが今回の話を作ったのかどうかは不明なのですが、昌幸の策に従って徳川を攻略していく信繁や信幸たちの雄姿にワクワクしてしまった自分を思い返してみると、「戦争の持つ高揚感」 っていうのは怖いな、と考えてしまうのです。

 三谷サンのとった今回の 「梅の理解不能な行動」 には、「単なる真田大勝利の話にはしない」、つまり 「その高揚感ってやばくない?」 という三谷サンの声が聞こえるような気が、するのです。


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