北条と上杉のぶつかり合いに挟まれた昌幸が次に打った手は、息子信繁を上杉に送り込み、元は武田家家臣で今は上杉についている春日信達を北条方に寝返らせよう、とするものでした。
意気揚々と信達の調略に向かった信繁でしたが、昌幸の本当の狙いは…というのが今回の内容。
ちょっとウィキで調べてみたんですが、春日信達は真田昌幸らと内通していたことが発覚して、上杉景勝に殺された、とありました。 つまり信達は信繁に促されるまでもなく、「自分から」 上杉への謀反を考えていたことになる。
要するに、今回の話は私が知る限り、ほぼ三谷サンの創作です(そんな小説とかあれば別ですが)。
物語の序盤でここまでフィクションに頼り切った話を三谷サンが展開させたのはなぜなのか。
私の考えでは、まずこの話を信繁にとっての 「大人への扉」 にしたかったのではないか、ということ。
なにしろ信繁はまだどうくつのなかのよっぱらったモグラのボスと戦うくらいの(笑)、ドラクエで言えばせいぜい10とか13あたりのレベル(笑)。 モグラが調子ガン外れの歌を歌って苦労する、というレベルのときに、いきなりゾーマが現れてエアリスを殺すとか(イカン、FFとごっちゃになってる…笑)そういうショッキングな出来事なんですよ。
と同時に重要なのが、その 「大人への扉」 の向こうにあるものが、けっして清廉潔白なものではないのだ、ということ。
これはここ数作、主人公たちの 「負の側面」 をひたすらロンダリングしたがったNHK大河に対する、三谷サンなりの危惧であり、ひとつの反旗だったのではないか。
やるかやられるか、の世界において、手段はときとして選んでいる場合ではなくなる。 そして生きることに貪欲でなければ、がむしゃらでなければ、どうしても達成できないことが人生にはある。
そこを 「潔癖な」 視聴者から文句が来ないように聞こえのいい話に骨抜きにしてしまうと、いかにもお行儀のいい、つまんない話になってしまう。
だから主人公レベル10くらいの段階で世の中というものを、理不尽なほどに思い知らせる。
濁悪とした世の中の真実を、信繁がどう学びとっていくのか。 それこそが重要であり、そこにこそドラマが伝えるべき使命がある。
そんな主張が見える気がするのです。
正直に申しますと、今回の話、「信繁に戦国の世の厳しさを叩き込む」 という趣旨であるわりには、結構話に 「堅固さ」 が欠けているな、とは感じました。 なんかどこか、三谷サン作の数年前の人形劇、「三銃士」 みたいなスピード感はあったけれど、「もっとじっくり見てみたかった」、というか。
それは、信達が信繁や、叔父の信尹(のぶただ)の説得に応じていく理屈に、ちょっと性急さが見られたことに理由があります。 もう少し早い段階から、春日と武田家との関係とか、物語にちょっとした布石を打っておけなかったものか。 高坂弾正の話とか、矢継ぎ早で頭に入ってこないんですよ。
「ぼくちゃんこんな話に数回もかけてらんないから」 という三谷サンの饒舌ゆえの展開、というか(逆にそれで、今後も創作話がてんこ盛りになりそうな期待も高まります)。
信達に対する説得にもう少し神経を使っていれば、のちに信繁が直面するショッキングな出来事にも、じゅうぶんなタメが出来る。 説得の過程が性急過ぎるから、途中から昌幸と信尹の本当の思惑に気付かされてしまうところもあった。 創作であるがゆえに、もっと話に真実味を持たせたほうがよかったかも、というか。
話はそれますが、途中でインサートされるエピソードで、黒木華チャンの兄上、藤本隆宏サンが 「どっちが敵だか分かんないけど、とりあえず攻めてきたヤツが敵だ~っ! とりゃ~~っ!」 と出陣していくとことか(笑)。 これを見てても 「三銃士」 を連想した(笑)。 いま小山田茂誠を演じている高木渉サンがよくやってたようなキャラ。
まあ、「とりゃ~~っ!」 は置いといて(笑)、結局信達は、昌幸が、これも 「三谷流」 の 「成り行き」 で得た北条氏政の花押入り書状を受け取った瞬間、信繁の目の前で、叔父信尹によって謀殺されてしまう。
まあ、信尹に殺された、というのはフィクション、としても、ここで 「なにも殺さなくても…」 というのは現代人の発想です。 だって生きてりゃ上杉景勝に申し開きしちゃうもんね(笑)。 「死人に口なし」 だもんね。
ただそこで、上杉景勝の右腕、直江謙続が信尹に対して疑いの目を向ける、という話の運びはさすがです。 妻夫木謙続だったら 「なぜ御屋形様があれほど目をかけていたのに…」 ときっとその場で泣いていたでしょうから(ハハ)。
直江の目もあって信尹と信繁は上杉からそそくさと撤収しようとするのですが、信繁は目の前で起こった信達の謀殺に未だショックが抜けず、磔にされた信達の亡骸に手を合わせてしまう。
そこに上杉景勝が、間の悪いことに現れるんですよ。
信達に手を合わせるなんてやはり怪しい、と思われてしまうのか。 その緊張感の中で、景勝は 「つくづく、人の心は分からぬものだな」 と、虚しさを吐露していく。 信繁はその場で、信達が海津城の守りにつけられて相当悔しがってました、とウソを述べるのですが、景勝はそのウソを、見破っていたかどうか。 同時に信繁は、上杉に叔父信尹の息子であると自らを偽って潜入していた。 そのウソも見破られていたかもしれない。
ここらへんの 「いろんな想像が出来る」 物語の紡ぎ方が、もう最高にうまいんですよね。 だからフィクションでも、ぐいぐい見せていく。
それと、上杉と北条が共に撤退、という話を 「ただひとり昌幸の謀略のせい」、という話の大きさ、大袈裟な印象を和らげるシーンも周到に用意している。 すべてが終わって 「湯につかってきた~」 とサッパリ顔で信幸・信繁の前に現れた父、昌幸とのシーンです。
「いくらなんでも話がデカ過ぎるじゃん」 という視聴者の思いを代弁したのが、「マジメ」 信幸。 「父上…どこまでが狙いだったのですか?」 まさか全部思いどおりじゃないよね?みたいな(笑)。
それに対して昌幸は当然のような顔をして 「すべてじゃ」。
いや、それは、たまたまってのもあるでしょうに(笑)。
でもそれを、全部自分の手柄みたいにして自慢するのが、話を面白くする源泉なんだ、と私は思うんですよ。 死せる孔明生ける仲達を走らす、みたいな。
親父が息子にする自慢話、というのも、誇張だらけでちょうどいいのです。
世の中みんな謙遜する人たちばっかりだったら、つまらんでしょう(爆)。
その、「たまたま」 っていう要因のひとつに、昌幸がかなり遅れて北条のもとに馳せ参じたときにたまたま御隠居の身の北条氏政がやってきた、というのもあるでしょう。
昌幸は信繁による説得が難航してるのを見かねてもう見切り発車で 「春日信達を調略した」 という土産話を持っていくのですが、氏政の息子氏直はバカにしくさって取り合わない。 そのときにたまたまやってきた氏政が昌幸を褒め称え、書状を書くのもふたつ返事するのですが、氏政にとって真田昌幸などどうでもいいことで、要するに天狗になっていた息子の氏直を諌めるために昌幸をほめちぎった、というこの 「たまたまな」 展開。
この話の構成も…うまい、うまい。
ここでもうひとつ説得力を増すのは、まあドラマ上の年齢構成なんですが、氏政を演じる高嶋政伸サンのほうが、昌幸役の草刈サンより、ずいぶんと年下なんですよね。
なのにもう御隠居をやってる。
だから権力に対する執着はまだまだ強くて、息子をなんとかコントロールしようとしている。 その気持ちと、老練そうに見える真田昌幸に対する、ヘンな余裕を持ちたいという自尊心。 それがこのキャスティングの年齢差で説得力を持たす要因となっているように、思えるのです。
そしてこの、殺伐としている今回の話を和らげてくれる役を、徳川家康の内野聖陽サンに託した(それについてはほかのドラマブログに任せた…笑)。
ともあれ、なんつーか、実に気配りが行き届いていて、気持ちのいい脚本なのであります。
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「真田丸」 第8回 信繁が開けた 「大人への扉」
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