このところ 「真田丸」 に特化している我がブログ。 冬ドラマのレビューそっちのけでありますが、なんかこの大河ドラマのレビューは、書きやすい気がしてどうしても優先しちゃうんですよ。
そもそも私の場合 「感想を書きたくなるドラマ」 というのは、一概に 「よく出来たドラマ」「面白いドラマ」 というだけでは無理なところがあります。 出来がいいからこそ、きちんとした感想を書かねばならない気がしてくるし、そうなると先を見るのが億劫になり、しまいには怖くなってくる。 真に面白いドラマだと、そのへんの壁をぶち破るような力にあふれていて、感想を書きたくてたまらなくなるものなんですが。
それに比べてこの 「真田丸」 には、「そんなにリキ入れて見なくても入り込めちゃう」、という長所がある気がします。 それは主人公たちがどこか 「真剣にやっていながらもそこにどことなく可笑しみがある」、人間の喜劇的な部分を背負っているからではないか、と思われます。
この第5回でも、例によって真田昌幸(草刈正雄サン)が、せっかくついた織田があっさり明智に討たれてしまって、表向き平静を装いながら息子の信幸(大泉洋サン)とふたりっきりになった途端 「ちくしょおおおおお~~~っ! せっかく頭まで下げて馬までやってよーやっとこれで落ち着けると思ったのにぃぃ~~~っ! なんでここで死ぬかねぇ信長ァァ~~っ!」(笑)。
そして 「我らはどこにつけばいいのですか?父上の本心は?」 と訊いてくる信幸に、「わしの本心か…。 では、はっきり言おう…」 と散々ためてから(笑)、
「まったく分からんっっっ!」
いや、ゆーと思った(笑)。
このセリフをですよ、「あくまでマジメに叫ぶ」 ところがいいんですよ。 だって大マジメな話ですから。 こんな小国がどこにつくかで運命変わっちゃうんですから。
でもそれが、テレビ桟敷で見ている我々 「部外者」 たちにとっては、「マジメであるがゆえに哀しくも喜劇的である」。 そういう背反する本質を捉えることが出来るからこその三谷脚本であり、今年の大河が 「とっつきやすくレビューを書きやすい」、という結果になっているのではないかと思われるのです。
そしてこの第5回全体に流れる主題は、「信長の死がもたらした混乱」 にあることは明白です。
なぜなら、前回信長に壮絶にボコられて恍惚の表情を浮かべていた明智光秀が、どこにも出てこない。
家康(内野聖陽サン)陣営も昌幸ら国衆も、信繁(堺雅人サン)も木村佳乃サンも誰もかれも、「なんかエライことが起こったみたい、でも真相は分からん」 という状況の下で自らがどうなすべきかの判断を迫られるからです。
この混乱は、このドラマが 「本能寺」 の顛末をほぼ完全に描写しなかったことが原因です。
本能寺が焼けたところが出てきて、「信長様の亡骸は見つかってないらしい」 という情報だけが信繁の耳に入ってくるのみ。 じゃ、どこかで生きてるかも?という可能性も捨てきれないのです。
じゃ、もし織田を見限ったとして、信長が実は生きてました、なんてことになったらどーするのだ、という不安も抱えながら、徳川も真田も行動しなければならなくなる。
ここらへんの 「真相が分からない状況」 というのが、この第5回では特に秀逸に描写されていた気がします。
これって昨今のセンテンススプリングチックなゴシップに(笑)踊らされている我々のようなものかもしれません。
なんだかんだ言って、真相は分かんないでしょう、ベッキーもSMAPも甘利サンも(笑)。
自分の目で見たわけじゃないのに、記者の目から見た(あるいはその主観というレンズを通して見た)情報を基にして、我々はあーだこーだやいのやいの言うわけです。
まあ確かなのは、「ここは織田を見棄てて逃げる!」 と決めて伊賀越えを断行した家康たち一行に、上野樹里チャンはいなかったということくらいで(笑)。
いなかったなあ、江(笑)。 最近伊賀越え、というとどうしても彼女の姿を探してしまう自分がいるのであった(笑)。 それだけインパクト強かった、ということで(本能寺にも彼女の姿はなかった…笑)。 なんでだろう(棒読み)。
とにかく家康のほうほうのていで逃げる様はいかにもコミカルで、途中出てきた服部半蔵も 「伊賀は我がテリトリー」 と豪語するもなんとなく(いやものすごく)頼りなく(笑)、江がいたんじゃ足手まといもいいとこだったということだけは、じゅうぶん伝わりました(笑)。
しかしこれも、逃げている当人にしてみれば、真剣そのものなのであり。
そして戦国時代における情報の伝わり方の極端なムラは、滝川一益(段田安則サン)の 「これでようやく信長様が望んだ太平の世が来る…」 という哀しい安堵へとつながっていくわけです。
昌幸と信幸は、最初滝川に信長の死が伝わっているのかどうかを見極めようとするのですが、途中でいやがうえにも気付いてしまう。 「なんも知らないなこの人」。
しかしふたりは、滝川に信長が死んだ(であろう)という情報を、伝えないんですね。
そして滝川との会見ののち、「明智も愚かなことをしたものよ…」 と嘆かせる。
この、武士の情け的な展開。
このドラマを深いものにしているのが、こうした 「暗黙の了解」 という部分を大事にしてるのところなのではないか、と思われるのです。
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「真田丸」 第5回 「ゴシップ」 目線で見た本能寺
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