Quantcast
Channel: 橋本リウ詩集
Viewing all articles
Browse latest Browse all 224

「天皇の料理番」 自分の思うがままに生きよ、だが自分のために生きるな

$
0
0

 かつて堺正章サンが主役を務めた 「天皇の料理番」。 今回と同じTBSで日曜の午後8時、つまりNHKの大河ドラマの裏番組でしたが、当時かなり夢中になって見ていたものです。

 しかしながら、もう35年前のドラマになってしまうので、その詳細についてはもう、記憶の彼方。 まあだいたい、出来の悪かった主人公が次第に出世していく小気味よさ、そして出てくる料理の素晴らしさ、なんてのは記憶にございます。
 あと今回柄本祐クンが演じた辰吉、これをデビュー間もなかった明石家さんまサンが演じていたのですが、その辰吉が今回よりはるかにどうしようもなく惨めな役であった、ということ。 私にとってさんまサンの印象が強烈に焼き付いた最初でした。
 それから、今回小林薫サンが演じていた宇佐美コック長。 これは財津一郎サンでしたが、あのコミカルな 「キビシーっっ!」 の人がかなりのコワモテで、とても衝撃的だったこと。 ナレーションの渥美清サンにしても同様で、自分にとってコメディ畑の人がマジメに何かをやる、というインパクトというものに、初めて出会った作品だった、そんな記憶があります。

 そしてもうひとつ。
 とにかくこの、主役の秋山篤蔵、という男の、息苦しさ。

 つまり彼は若い時から大変奔放で、しかもなにかって言やすぐに問題を起こしてしまう。 彼、とても怒りっぽいんですよ。 今回のドラマのなかでもたびたび取り沙汰されていましたが、要するに 「癇癪持ち」。
 このことについては今回のドラマを見るまですっかり忘れていました。 しかしすぐに思い出した。 30年以上前、ドラマを見ながら次は篤蔵がなにをしでかしてしまうのか、見ていてとても息苦しかったことを。

 しかし堺正章サンは、彼独特のユーモア感覚みたいなもので、その息苦しさをギリギリの線で緩和していたように思う。
 今回この、秋山篤蔵役に挑戦した佐藤健クンは、その点でとてもストレートに役に没頭していた気がします。 「仮面ライダー電王」 の頃から彼を見てきた印象を言うと、彼の演技はとてもマジメ。 そしてとても器用。 ともすれば器用貧乏に陥る危険性を常に孕みながら、演技に対する一途さでそれをカバーしてきた感がある。 この点においては満島ひかりチャンと似通ったようなところがあるが、ひかりチャンはどことなく情熱的な天才肌みたいなところがあって、時折演技に対する一途さに溺れてしまいそうな危険性があるのに対して、佐藤健クンの演技には、いつもどこか自分を客観的に見ている冷静さみたいなものがある。

 そんな比較論は置いといて、そういう真面目な佐藤健クンが秋山篤蔵を演じたとき、マチャアキバージョンで感じていた息苦しさを今回、私は余計に感じてしまったのです。 結果、視聴も第2回で止まったまま。 根がイーカゲンですから、レビューも書かずにこのまま済ませようと思ったのですが(笑)、リクエストを頂きましたので一応…(笑)。

 それで視聴を再開してみると、今度は佐藤健クンの老け演技が気になってきた(笑)。 いや、老けというより年上演技、かな。 なんでこんなにドス効かせたがるのか、みたいな(笑)。 先に書いた 「演技が器用」 ということが、ここでアダになっちゃってるかな、みたいな。

 でもなにしろドラマ自体の出来がいいし、篤蔵の妻を演じた黒木華サンとか、小林薫サンなどの演技に引っ張られながら、ようやく最終回まで見ました。 で、内容についての感想です。 物語の詳細についてはほかのドラマブログに全面的にお任せいたします(笑)。

 このドラマを一本貫いていた核心は、やはり 「真心」 でしょう。 これは比較的容易に分かるのですが、その真心、という中心核を裏で支えてきたものは、「励む」 ということだろうと思うのです。
 篤蔵の兄で早くに亡くなってしまう周太郎(鈴木亮平サン)から言われた 「励めよ」 という言葉は、ドラマの中で何度も、篤蔵に語りかけられます。
 このドラマでは毎回、冒頭の俊子(黒木華サン)のナレーションで当時の社会状況が並行して語られたのですが、当時の日本人全体が持っていた 「世界の流れに後れをとった後進国の日本を、なんとか世界に追いつき追い越せ」 という上昇志向のうねりを、うまく秋山篤蔵にもリンクさせる、秀逸な構成だったと感じます。 つまり 「励め」 という周太郎の意向は、当時の日本人全体の意志でもあった。

 もちろん篤蔵がそこに至るまでには、「自分の本当にやりたいもの」 にぶち当たる必要があった。 これは35年前のドラマでも鮮明な記憶として残っている、カツレツとの出会いだったのですが、自分のやりたいものを見つけてからの篤蔵は、もうただひたすら、「励みまくる」 んですね。 なにかって言やメモを取る。 分からないことは徹底的に調べようとする。

 なかでもドラマの視覚的効果で今回いちばん印象的だったのは、篤蔵、いや佐藤健クンの包丁さばきが格段に進歩していくこと。
 ドラマ開始前にゲスト出演した 「チューボーですよ!」 では、「もと篤蔵」 の堺サンに完全に勝ってました(笑)。 もう20年もキョショーをやってる人にですよ(笑)。
 これは佐藤健クンの 「演技に対する生真面目さ」 が最も成功した事例だろうと思います。 つくづく 「なりきる人」 なんだなあ。

 その篤蔵のいちばんの強み、というのは、宇佐美コック長から教わった、「真心」 ということが中心にあることです。 自分のいちばんやりたいものを見つけると、まずは自分のことばかりになっちゃいそうなんですが、篤蔵の思いの先には、「お客様」 が控えている。 「お客様が喜んでいただけるように誠意を尽くす」 ということが前提にあるからこそ、どんな危機的状況に自分が陥ろうとも、篤蔵は強いのです。

 それが一回、瓦解しかけたことがある。 華族会館をクビになって働き出した 「バンザイ軒」 で自分が考案した本格的カレーが売れなくなって、元のカレーに戻したときです。
 篤蔵はなにをやらせても全然ダメ、という危うさがあった昔より、これはイカンなあ、と思いました。 その、いちばんダメな時期を見計らったように(笑)、よりによっていちばんイカン時期に(笑)宇佐美が 「評判の本格カレー」 を食べに来るんだなあ。

 客の舌が肥えてない、と吐き捨てる篤蔵に宇佐美は 「あのカレーは腐ってる」 と強烈な一撃。
 「カレーが腐っているのは、お前の性根が腐っているからだ」

 「自分は精一杯の真心を込めました! けど、その真心が通じませんでした! どんなに手を尽くしたからってえ、猫には味が分からんでしょう!」
 「オレは客だ! 客に言い訳する料理人がどこにいる! 客をバカにする料理人は、大バカ者だ。 なおかつ、バカにした客に、バカにした料理を食わせる料理人には、…もう言葉もない」

 そんなヤツはとっとと辞めたほうが、みんな幸せだと宇佐美は言い残して、その場を去ります。

 篤蔵が 「真心」 の本当の意味を悟ったのは、ここからでしょうね。 そんな篤蔵のフランス行きに背中を押したのが、周太郎兄やんだった。 もうじき死ぬであろう自分の遺産相続分をフランス渡航の資金に換えたのです。

 ここで注目したいのは、「篤蔵の夢を応援する」 とかいうご立派な動機ではなく、これは自分の生々しい欲望なのだ、と周太郎が手紙で吐露する部分です。

 「俺はこの不条理を、幾千幾万という人がいるなかで、自分が病にかかってしまったことへの不条理を、未だに呑みこめていない。
 取り立てて悪いことをしたわけでもない。
 ごく普通に生きてきた自分がなぜ、病に襲われねばならなかったのか。 運命を呪っている。

 俺は存外に生臭い男だ。
 このままでは、世を呪い続けてあの世に行くことになろう。

 けれど、それは、あまりにも不幸で、情けない。

 だから、お前の夢を、一緒に追いかけさせてほしいと思った。

 篤蔵。 この世に生まれ、職もなさず、家もなさず、何事もなし得ることなく終わっていくであろう俺に、誇りを与えてほしい。
 俺の弟は、帝国一のシェフになったと、それは俺のおかげでもあると、胸を張らせてほしい。

 その金は、俺の生々しい欲望だ。
 かろうじてまだ生きている、その証だ。

 篤蔵、パリへ行け。 俺の命を抱いて、飛んでくれ」

 
 このドラマはここで、「自分の中にある勝手なもの」 を 「人のためになる崇高なこと」 に置換する手段を取ることで、深みを与えることに成功していると感じます。
 煩悩は、自分の中にあるだけではただの煩悩で、自分をダメにする有害なものに過ぎないのだが、それは 「他人のため」 という目的を持った時点で、「善い事」 へと一気にすりかわる。 この価値観の逆転は、見ている者の精神を、さらにひとつ上のステージにあげてくれるものでした。

 後半のこのドラマの大きな屋台骨になったのは先ほども書いたように黒木華サンだったのですが、あえてここは言及しないで(笑)、最終回に至るまでの、篤蔵と昭和天皇とのことをちょっと書いてみようかな、と思います。

 この物語のもうひとつの眼目として、「昭和天皇の戦争責任」 という問題が重く横たわっていたような気がいたしますが、側近だからこそ突っ込めない部分があったことは理解できます。
 篤蔵が昭和天皇を擁護したいと考えるその中心的な記憶に、晩餐会の食事に肉を縛る糸が昭和天皇の皿にだけ残っていたことに対し 「ほかの人ではなくてよかった」 と寛大なお言葉を頂いたことをドラマは布石として残した。 つまりドラマの最後の最後まで、昭和天皇がそのとき何を言ったのかを伏せておいたのですが、前のドラマでもやってたのか、そのエピソードは自分の記憶にあったので、個人的には効果が薄かった。 知ってることがアダになるのは残念です(ハハ…)。

 個人的に面白かったのは、バンザイ軒の主人の佐藤蛾次郎サン。 印象的な役がまたひとつ増えました。 あと、その女房役だったのか?(笑)高岡早紀サン。 いかにも美人局気味の(笑)危うさで篤蔵を誘惑してくるところなんぞ、「ゲンセンカン夫人」 を見ている感じでよかったな~(笑)。 後半ミョーに毒がなくなったのがつまらなかった(宮内省御用達を迫る毒があったか?…笑)。

 あとはフランス編のフランソワーズ。 なんか芳本美代子サンみたいな(笑)。 「マッサン」 のエリーとは言わないけど、もうちょっとなんとかならなかったのか(笑)。 いや、でも彼女もいい味出してましたよ。
 けっして美人とは言えなかったけれど、いかにもロートレックの絵に出てきそうな歌手、という感じでした。

 黒木華サンについては、後半泣かせていただきました、とだけ申し上げておきましょう。 いや、もともと古風な日本女性という外見だから、なんかどこか、ずるいよな~みたいな(笑)。 彼女が良すぎたせいで、最終回がなんか付け足しみたいになってしまった(笑)けど、最終回の意義は大きかった、と思います。

 いずれにしても、やるべきことを真心をこめてきちんと励めば、ちゃんとした立派な料理、だけでなく、多くの人の視聴に耐えられるちゃんとしたドラマも出来る、という好例でした。


Viewing all articles
Browse latest Browse all 224

Trending Articles