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Channel: 橋本リウ詩集
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永六輔のいた時代

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 永六輔サンが亡くなった。

 ラジオ人間である私にとって、永サンは常に 「TBSラジオの人」 といった印象がある。 実際は放送作家から始まって作詞家、作家などひとつのメディアに収まるような人ではなかったのだが。

 物心ついたときからいつもラジオがTBSのチューニングのままつけっぱなしだった我が家には(現在も未だにそうなのだが)「遠くへ行きたい」 の尺八のメロディーが流れてくる 「誰かとどこかで」 が毎日かかっていたし、土曜日はマリンバのテーマ曲で始まる 「土曜ワイドラジオ東京 永六輔その新世界」 が常にかかっていた(ラジオ東京というのはTBSラジオの旧名)。

 数年前その、「誰かとどこかで」 の番組のなかで、永サンが突然号泣しだした、という回を、私はたまたま聞いていた。 「こんな、番組中で僕が泣くなんて初めてでしょう」 と永サンは相方の遠藤泰子アナに弁明していたのだが、思えばそれが永サンのパーキンソン病の兆候だったのかもしれぬ。

 永サンはそれから 「土曜ワイド」 のなかでもかなり鬱気味になり、あれほど早口で饒舌だったのがアシスタントの外山惠理とかはぶ三太郎に進行を任すようになった。 それが一時持ち直したのが、体調不良の原因がパーキンソン病であることが分かったときだった。 永サンは目の前の霧が晴れたかのように元気になった。

 しかしまた徐々に病気に負け気味になり、ここ数年は完全に何を言ってるのかよく分かんない感じになり(私は耳も遠いのでなおさらだった)、私も自然と 「土曜ワイド」 を聞かなくなった。 たまに聞くと外山とはぶがしゃべってる後ろで、なにか 「う~う~」 と聞こえる。 外山が永サンにしゃべる場を与えても、言語不明瞭で分からない。 「誰かとどこかで」 も同様で、遠藤アナが主体的にしゃべることが多くなった。

 ついに 「誰かとどこかで」 が終了し、「土曜ワイド」 も終了。 ただ 「土曜ワイド」 の流れで月曜日の夜、やはりTBSラジオで 「六輔七転八倒」 が始まったのが去年の秋だったか。 それもついこないだ 「番組に出演が叶わない」 という理由で終了し、それからたった2週間で死去が発表された。

 「七転八倒」 の後番組で全体的に 「土曜ワイド」 の形態を継承しているといっていい、はぶ三太郎がメインパーソナリティの番組、「いちにの三太郎」 は、永サン死去が発表されたまさに昨日が週イチの放送日で、当然のごとく永サンの追悼番組になった。

 私は仕事中にかいつまんで聞いたのだが、そこでとても不思議な感覚に襲われたことを告白しなければならない。

 外山とはぶ、さらに 「土曜ワイド」 時代からの準レギュラーであったピーコたち出演者が永サンの思い出をしゃべっている後ろに、いつものように永サンがいるような錯覚に陥ったのだ。

 もちろんそれはユーレイとかオカルト的なものではない。 外山とはぶが永サンから教授されたさまざまな経験値が、その場にあたかも永サンをバーチャルリアリティのように浮かび上がらせたように感じたのだ。

 外山惠理は私の知る限り、当初TBSの局アナとしてはかなり気持の定まってない性格だったのだが、おそらく彼女は永サンに仕事のなんたるかを強烈に叩き込まれたに違いない、と踏んでいる。 彼女はラジオに局アナとしての自分の居場所を見つけ、永サンの追悼が目的であるこの番組でも、取り乱すことなく明るくその場を取り仕切った。
 彼女は昨日の番組内で何度も永サンに話しかけていたが、それはその場に 「千の風」 となって漂う永サンに向けたものであった。
 ここ数年ずっとそのパターンだったから、という理由もあるのであるが、昨日の番組はすっかり 「永サンがまだそこにいる」 と思わせるにじゅうぶんな内容だったのだ。 そのことが却って、また私を悲しませる。 そして永サンの遺したものを、外山惠理のなかに感じる。

 番組では在りし日の、まだ早口で饒舌だった頃の永サンの音声が流れたのだが、その頭の回転の速さが、またひどく懐かしかった。
 そう、私は永サンのモノの考え方に、ちょっと憧れていたのだ。
 永サンはラジオを通じて、私にいろんな目を開かせてくれた気がする。

 永サンの訃報を追うように、ザ・ピーナッツの伊藤ユミサンが2か月近く前に亡くなっていたことが発表された。 去年あたりから、月の家円鏡サン(橘家圓蔵サン)とか加藤武サンとか、よく慣れ親しんだ人たちが次々死んでゆく。
 個人的なことであるが、私の親戚のおばさんもこの週末に亡くなった。 4月には私がお世話になったおばさんが亡くなっているし、このところ私は妙に息苦しさを覚えて仕方ない。

 それは両親との別れの時がだんだんと近づいている、という息苦しさにほかならない。 親が年老いていくのを見るのはつらいものだ。 近い将来か遠い将来か分からないが、「そして誰もいなくなった」、という時が来るのが私は怖い。

 永サンが作った歌が流行っていた時代。 ザ・ピーナッツの歌が流行っていた時代。 そして私の世代の歌たち。
 近頃じゃとてもまっすぐであるがこちらの心に届いてこない、饒舌な励ましの歌が氾濫している。

 でもそれはそれでいいのだろう。
 分かりあえる者たちの間で分かりあえれば。

 ただそんな日本の将来に、興味があるのかどうかと問われれば、私の答えはノーのような気がしている。

 こうして疎外感を抱きながら、私も死んでいくのだろう。


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