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Channel: 橋本リウ詩集
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「NHKスペシャル カラーで見る太平洋戦争 3年8か月・日本人の記録」 私の反戦の原風景

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 戦後70年という節目にメディアではいろんな番組が企画されていますが、戦時中の風景をカラー化して淡々と流し続けるこの手の番組が、いちばん見る者に訴えてくるように感じます。
 ただありのままの事実を提示し、それを受け取るものに考えさせる。
 確かにそこには、悲惨さを煽るBGMや当時の人々の述懐が見る側の気持ちを洗脳してしまう一面もあります。 しかしそれは普通の人間なら当然感じるであろう痛みであり、慄(おのの)きなのである。

 人が殺される、ということ。

 人を殺す、ということ。

 もしそれらが何の感情も伴わないままただ放送されるならば、それは放送する側の 「人として」 の怠慢なのである。 だからこの番組で行なわれる 「演出」 というものは、「人として」 の良心のうえに成り立っているものと言わなければならないのです。

 まずそうした 「意図的なものに対する警戒」 を解いたうえで私が告白したいのは、「戦争を知らない世代」 の自分にとって、反戦思想の中核にある原風景が、このようにテレビで放送されてきた戦争の映像だった、ということです。

 おびただしい死体。 死に直面している人々の虚ろで険しい顔。

 私にとって特に忘れられない映像となったのは、中学2年くらいのときにテレビで見たアウシュビッツ収容所の死体処理の映像でした。 1978年ごろのことです。
 白黒の風景の中で、なにか巨大なゴミのような物体がまとめて無造作に葬られていく。
 それがすべて裸の死体だ、と分かったとき、いわれのない強烈な吐き気のようなものに襲われました。
 それまでそのひとりひとりに、きちんと家族が存在し、きちんと自分の人生が存在していたものが、大量にまとめられて処理されてしまうとき、それはまるで無機質なゴミのようになってしまう。 その衝撃。

 今日ではここまであからさまなおびただしい死体の映像、というものはどうも自主規制されるようです。 でも1978年の昔にはそういったものに対する躊躇そのものが、放送界にほとんど存在していなかった。 それは戦後30年くらいの段階だったから、まだまだ人々の中に 「死の記憶」 というものが鮮明で、「死」 そのものを隠蔽しよう、という空気自体がなかった証拠でもある気がする。

 それでも 「死体を見て感じること」 というのは人によって千差万別なのだと思う。 その映像を見てもう一度見たいと考え、自分が誰かを殺してそれを見てやろう、つまり 「人を殺してみたい」 と考える人間もごくまれにではあるが、いることでしょう。
 でも私は幸いなことにそれを見て限りない嫌悪感を持つ感覚が身についていました。 自分が死体を見て自分も試してみたい、などという人間に育っていなかったことには、感謝するしかありません。 親にも、先生にも、友人にも。

 そして戦争というのは、自分がどんなことを考えようが、その 「死」 を伴う行為なのだ、ということを私は映像を通じて理解してきたわけです。

 今回、2015年の日本においてこのNHKスペシャルが提示した死体の数は、中学生の私が見てきた死体の映像に比べれば、はるかに少ないものと言わなければなりません。
 しかしそれらはデジタルによってカラー化され、重たい臨場感を持って迫ったものとなりました。 これを若者たちが、子供たちが、どう見ていくか。

 いや、これは自分が人間であろうとするならば、目をそむけずに凝視しなければならない 「戦争のまっすぐな事実」 なのだと思う。 すべての日本人はこれを見なければならないのだ、と思う。 自らをごまかさず。 めんどくさがらず。 他人事を決め込まず。

 今回これらの映像を見ながら考えたのは、「どうしてこうなっちゃったのか?」 ということでした。
 その因果関係を語る番組ではないために、それは映像を見ながら自分で考察するしかありません。

 まず考えたのは、「KY」 ということ。 KYすなわち空気を読めないヤツ、というのは近年誕生した流行り言葉でありますが、これは日本人の集団心理における根本的な気質を表していると同時に、太平洋戦争当時の日本でも人々を蹂躙しにかかった、いわば 「呪縛の風土病、国民病」 だったのではないか。

 そして大きく俯瞰して考えれば、鎖国状態で自国のまわりが発達していくのに自分だけ取り残されている、という江戸末期からの劣等感が明治維新により爆発的に解放されるいっぽうで、江戸幕府の置き土産であった不平等条約が他国への敵愾心の基礎となり、島国の持つ偏狭性によって育まれていったのではないか。

 今回、この番組においても大きく取り上げられた特別攻撃隊、「特攻」。 私は太平洋戦争における日本の運命を考えたとき、どうしても彼らの存在がひとつのターニングポイントになったのではないか、という気がしてなりません。
 特攻というのは、ご存知のかたが多数だと思いますが、自らが乗った戦闘機をそのまま爆弾として相手に突っ込ませる、という戦法です。
 しかし言葉で説明するのはたやすいのですが、あらためて考えてみると、これは人間の発想としては明らかに、かなりの常軌を逸した戦法です。 いや、ここまでくると戦法とは呼べない。 あえて言わせていただきますが、キチガイじみている。

 しかしこれを決行することでその 「悲壮さ」 という概念は最大限にまで膨れ上がる。

 特攻として散っていったかたがたのことを考える時、私は同じ日本人として、「あなたがたが命懸けで守ろうとした日本は、あなたがたが考えていた日本なのだろうか」 と、時々恥ずかしくなることがある。 あなたがたに恥じない日本を作り上げる義務が私たちには永遠に残されているのだ、という気持ちが湧き上がる。

 しかしながら、この血涙を絞るような行為が相手方に与えたインパクトというのは、やはりこれ以上なく大きなものになったのだろう、と私は考えるのです。

 発想的に行けば、これって現在の自爆テロと同等の脅威を相手に与えるのだ、と思う。
 自らの命をいとわない戦闘員、というのは、西洋人の合理性の範疇を大きく逸脱しているように私は思うのです。
 「アー・ユー・クレイジー?」 の世界ですよね。
 こういう、精神的に強固ななにものかが憑依した民族に自分たちが勝利するには、徹底的に壊滅させるしか手はない、という発想がそこから生まれるのかもしれない。

 今回、我が国に対して徹底的に無差別な爆撃を繰り返す米軍機の映像を見たとき、私はこの無差別攻撃の裏に米軍兵たちの、日本人に対する畏怖みたいなものがあるように思えました。 まあ、単なる私の思い込みに過ぎないのかもしれませんが。

 「銃後」、すなわち民間人に対する連合軍の徹底的な攻撃は、東京大空襲、沖縄戦、そして広島、長崎への原爆投下、とエスカレートしていく一方なのですが、その残虐性に関する議論は置いておくにしても、彼らはそこまで徹底的にやらなければイカン、と思った。 そのきっかけが特攻だったのではないか、と私は個人的に思うのです。

 独りよがりの考えみたいなものを押し付けるようで、甚だ心苦しいのですが。 私の考えは、そんなところです。

 そしてその 「精神的に強固ななにものかが憑依した民族」 の精神的傾向が、「KY」 なのではないか、という。
 敗戦まではそこに至る精神的支柱が天皇陛下だったわけですが、これも明治維新からの王政復古に端を発している発想のように感じる。 それまで天皇家つまり朝廷って、結構浮き沈みがありましたよね。 いちばん権威が低下したのはやはり室町、安土桃山くらいなのかな。 それが徳川幕府がずいぶん長く続くのにつれて、政治を幕府に委ねることで自らの権威だけを象徴的に回復させ、「天皇家こそ日本でいちばんエライ」 というエイトスが形成されていったような。 だから徳川幕府が揺らぐと、「やっぱ天子様でしょ!」 みたいな機運が高まったのであって。

 そんないろんな要素が折り重なって、「どうしてこんなことになっちゃったの?」 ということになっていったのではないか、という。

 でも、切り替えが早い、過ぎたことは忘れる、のもわが民族のもうひとつの特徴であります。

 ただ私たちの胸のなかに、「戦争はもう嫌だ」 という気持ちが厳然と残っていれば、未来は開けていくのではないか、という気もあるのです。
 それを胸に刻むためには、このおびただしい数の悲劇の映像は、見る必要がある。
 それが日本人として必携の素養なのではないか、という気は、するのです。


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