日テレはときどきとんでもないレベルの 「なつかしアニメの実写化ドラマ」 というのを思いつくのですが、アタリもあればハズレもある(笑)。 ただそのクオリティを俯瞰したとき、たとえ失敗作に近くとも、原作に対するリスペクト、というのはいつも感じられるような気はします。 「怪物クン」 しかり、「妖怪人間ベム」 しかり(「ぬ~べ~」 は?…笑)。
しかしひと頃のような露骨な原作レイプ、というのは最近減ってきたような気はしますよね。 テレビドラマじゃないですが、「デビルマン」 とか 「キャシャーン」 とか、酷かったもんなあ。 改作する側の個人的な表現意欲、自己顕示欲ばかりが独り歩きしてるような感じで。
それでも、去年だったか、「ルパン三世」 の実写化(これも映画ですが)なんてのは、最も拒絶反応が起こりそうな題材じゃないですか(まあなんか、はるか昔に一回実写化はされてましたけどね)。 でもなんか、受け入れられていたでしょう。 「ヤッターマン」 なんかも好意的に受け止められていましたよね(どっちも未見ですが)。
つまり、改作者の思い入れなんかよりも、それを見てきた側の思い入れをより強い形で上書き出来るようなリメイクのほうが、受け入れられるということを、ようやく制作者側も気付いたのではないか、と。
「見る側に受け入れられる」 というファクターでいちばん大事なのは、出てくるキャラクターがもともとのヤツとそっくり、またはあまり違和感がない、ということだろうと思うのですが、今回の 「ど根性ガエル」 でいちばん違和感がなかったのは平面ガエルのピョン吉だった(笑)。
まあ、ピョン吉の部分だけはアニメ(しかもCGっぽい)で、それとシャツの動きを巧みに合成しているから当たり前、と言えば当たり前か(笑)。
しかしそっくりだったのはその声。
誰だろう、昔のアニメで声やってた千々松幸子サンじゃないだろうし。
それが、エンドロールが出てきて驚愕。 満島ひかりサンだった。
彼女、リアルタイムで体験した世代じゃないだろうに、よくここまで千々松サンの声に似せられるもんだ、とひたすら感心。
それと主人公のひろしですが、松山ケンイチクン。 これもまあ、及第点には達した似せぶりでしょう。 あとはヨシコ先生がそっくりだったかなァ。 梅さん(光石研サン)は出てたが、ライバルの南先生は?
まあ、ピョン吉とひろしとヨシコ先生以外は、かなり無理がある感じでした。 特に 「教師生活25年」 の町田先生(でんでんサン)は、なんと校長になってましたが、永井一郎サンのイメージとはかなりかけ離れていた。
前田あっちゃんの京子ちゃんは、…まあいいでしょう(笑)。 ただ、ひろしのウザイ告白に激高するところの演技はよかった気がします。
そして問題の、中身なんですが。
ひろしが30にもなってプータローをしている、というその設定。
ちょっと無理があるんじゃないか、と。
なにしろこのひろし、アニメではそんなに出来のいい子じゃなかったが、結構人情に脆くて、負けず嫌いの頑張り屋だった記憶がある。 それがピョン吉の 「根性根性」 というベクトルと相乗効果を発揮して、困難を乗り越え続けてきたような。
それがどーしてプータローなんだよ(笑)。
第1回の設定によれば、どうもピョン吉に促されて根性根性でやってきたら、疲れちゃった、みたいな(笑)。
しかしこの、「ひろしの気力低下の原因」 というのはもう少し真面目に設定し直さないといけない、と感じます。 なぜなら、第1回を見た限り、彼にはまだかなりのやる気が漲っている。 少々見当外れではありますがね。 彼はとてもあっけらかんと、積極的に自らのニートぶりを肯定している気がします。
こういう、やる気があって人情のなんたるかを理解している男が、果たして母ちゃん(薬師丸ひろ子サン)のスネをいつまでも平気でかじっていられるものなのか。
「やる気の方向が見当外れ」 の象徴的な例として作り手から第1回で示されているのは、「離婚して出戻ってきた京子ちゃんの歓迎会を勝手に企画してしまう」 というあたりだ、と思うのですが、このプロットには首を傾げます。 フツー出戻ってきた人の歓迎会なんか、せんでしょう気を遣っちゃって(笑)。
これはひろしが未だに少年のままである、幼児性が抜けない、ということを指し示しているのだ、と思うのですが、そのほかにもあの印象的だったトンボメガネを髪の上に載せたまんまだったり、ひろしをモラトリアムの象徴として描こうとしている姿勢は窺える。 しかしひろしのキャラでそれをやるには、ひろしはあまりにもやる気があり過ぎるんですよ。
そしてトンボメガネ以上に、ひろしが少年のまま時間が止まってしまっているファクターを、どうも作り手はピョン吉に求めているようだ。
序盤からいきなり、ピョン吉が自らのアイデンティティ、といーますか(笑)「自分はどうしてカエルの寿命を過ぎてもずっと生きてるんだろう」 とか、「もともと平面ガエルということ自体が不思議すぎる」 とか、ミもフタもない会話をひろしの母ちゃんと交わすのですが(笑)、ほぼ同時に、自分の体がシャツから離れつつある、そしてその部分が黒ずんでくる、という現実に直面しなくてはならなくなるのです。
つまり自らの死期が近い、ということをピョン吉は危惧していくわけですが、どうなのかなあ。
だってこのドラマの脚本、岡田惠和サンなんですよ。
この人、ピョン吉を死なせるとか、そういう残酷なことをする人なのかなァ?
どうもそう思えなくて。
たとえひろしとピョン吉の別れを描いたとしても、岡田サンはピョン吉を死なせるよりも、シャツから離れてバイバイ、みたいなほうを選ぶ、と思うんだよなァ(笑)。
「心がポキッとね」 でもちょっと、アレアレ?みたいな感じだったから、岡田サンの作るモノに少し警戒している自分は、いるのですが。
「泣くな、はらちゃん」 みたいな、「これは予想をはるかに超えた傑作だ」 といういい意味での裏切りを、期待したいのですが。
第1回を見た限りでは、満島ひかりチャンに感心した、という程度だったかな~…。
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「ど根性ガエル」 第1回 「原作レイプ」 危惧をどう克服するのか
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